温かい透明

友達に漫画を返すべく、阿佐ヶ谷に向かう。夜の午睡(ひるね)で待ち合わせて、「あ、ここ好きだった人と今度行こうって言って結局行かなかったところだ」と思った。スクナヒコナ。漫画の感想話したいって言ったのに忘れた。ここには漫画が沢山あってよかった。水木しげるの描くキャラクターの鼻息の表現について話した。わたしは絵で再現する前提で聞いていたけど、友達は顔で再現する前提で話していたことを後で知った。再現しようとしたけど、どっちも似てなかった。難しい。

友達は室内なのに帽子を被っていた。買ったばかりで早めに体に慣らしたかったので被っているらしい。わたしは昨日作ったばかりの帽子は被らずバッグに忍ばせていた。長方形に編んで綴じるだけで完成する帽子は被ると猫耳に見える。目の前で被ると、「猫...?どちらかというと」と言われたところで遮った。「モンスターですよね」。耳の部分がいびつで尚、モンスターらしさが際立っている。「一点物って感じでそれがいい」と褒めてくれた。メニューを開いてすぐにチャイを注文した。チャイが好きなのでチャイがあると必ず頼む。温かいチャイは透明なガラスのマグカップで出てきたので、「冷たそうなのにあったかいから舌がバグる」と言ったら疑問を持たれた。わたしの主張としては、「冷たいものは大体透明だから」。ゼリーや氷は水は透明。冷たいとは思わない友達の主張は「角砂糖が置いてあるし、表面に膜が張っているから」。このテーマについて白熱して小一時間議論した。みんなどう思いますか?

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それからしばらく漫画や日記や絵の話で盛り上がった。わたしはある人がきっかけで日記を描くようになり、それから全ての現実の出来事がリアルタイムでメタっぽく感じるようになった。リアルトゥルーマン・ショー。「現実の出来事や思い出を作品にして発表するとコンテンツとして消費してるみたいだ嫌だ」と言ったら「思い出を形にするって誰もができるわけじゃないし、大切だから残したいと思うのは消費じゃなくて昇華だよ」と言ってくれてなんだか救われた。それから、お互いの絵を描いたら同じ画材なのに全然線が違って見えて面白かった。

最近初めてコミティアの出張編集部で漫画の持ち込みをしたことを話した。友達とわたしが同じ出版社に持ち込みをしていたこと、そして編集者に言われたことが一緒だったので驚いた。見透かされたと同時に、的を得ていると思った。1文字も聞き逃すまいとアドバイスをメモしようとしたら、手元にメモ帳がなくて慌てて整理券にメモをしようとしたら没収され、その代わりにちいかわの便箋をもらったことを話した。ちいかわに興味がないので、これがわたしの人生に登場した初めてのちいかわだと思った。

友達が使っているペンが、シグノのボールペンと細いストライプが入った白いシャープペンで、それいいよねと言ったらあんまこだわりないと言われて衝撃だった。中学生の頃、文房具オタクだったわたしが数々のボールペンとシャープペンを試した結果残った、選りすぐりの2本だったからだ。それを伝えると「なんだか何もしてないのに得した気分」と言っていて悔しかった。

2時間経ったので場所を変えた。

阿佐ヶ谷のコーヒーが飲める場所はドトールとgionしか知らない。

自分の説明書の存在、その距離感について話した。

今日は本当に盛り上がってお互い話が止まらなかったので、情報量が多くて正直書ききれない。こんなに饒舌になるのは久しぶりだった(饒舌の次にアップルパイを連想した)。

メニューにアップルタイザーがあった。その思い出を話す為に注文したのに、わたしがいつまで経っても話さないので「本当に人を困らせるの好きですね」と言われ、口角を片方上げた。

帰りの電車で友達に「友達に「句読点ついてる話し方をする?」と聞いたら、初めて会った時から思ってた」と言われたよ」と言ったら同意され、「曽我部恵一の「まる。」を聴くといいよ」と送られてきた。聴いた。