写真

人のこと滅多に嫌いにならないし、心も広い方だと思うけど、結構しょうもないことで嫌いになる

友達に頼まれて写真を撮ったらバチバチに加工してアートワークにしていて、それがめちゃくちゃダサくて、全てに対するやる気を失った

でもそれって相手に言うほどでもない

前だったら、思ったこと全部口に出していたけど、今は全然言いたいことの半分も言わなくなった 「言えなくなった」が正しい

「言ったところでどうにもならない」と思うようになったんだと思う

もう無駄に期待するのはやめた 諦めている

これは絶対、去年の7月の出来事が関係していて ある意味私は大人になった

 

本当に限界になった時、私は誰にも相談せず1人で死ぬと思う

好きな人や仲良い人は沢山いるけど、苦しくなった時助けを求められる人は1人も思い浮かばない

 

鬱が近づいてる感じがする

 

漫画を読んでも映画を観ても全然頭に入らないし、スーパーに行っても何を食べたいのかわからなくて、何周もして何も買わずに出る

でもやっぱり編み物だけはできる

お金になるし、手を動かしてれば完成するし、無心になれるから

「何かをやっている」気になれる

漫画と違って考えることが少なくて楽

単調でいい

複雑なことができなくなった

料理ができない

部屋の片付けができない

人と会話する時、普段どうしてたかわからなくなって無言になる

HPが減る速度がどんどん速くなっている

 

失踪もODも入院も自殺未遂もせず一年を迎えられたのは大人になってから初めてだった

 

どこか遠くに行きたい

裸足になりたいよ

わたしは気に入ると同じものばかり使ってしまう癖がある。

今履いてる靴もそう。人より歩いているという自負があるのに、同じ靴しか履かないから、すぐダメになる。だからこの前全く同じ靴を買い直した。

ねえ、最近暑いね。わたしは冬が一番好きで、2番目は秋、3番目は冬の終わりと春の間。この季節が好きで、既に5回お花見をした。なのにさ、なのにさ、なんなんだこの気温は!もう、夏じゃん。正確には夏よりの春。悲しさとか、寂しさとか、不安なんて1ミリもなくて、ただただ楽しくて元気になってしまう季節。

なんの情緒もねえ〜〜〜〜〜!!!!!!!!

わたしなんて普通に過ごしてたら元気で元気で仕方なくて、落ち着いたエモーショナルな季節を過ごすことでやっと自分と季節のテンションの割合が丁度良くなるのに、こんなの、楽しさが度を超えてしまうよ。「楽しい」は、ちょっと物足りないぐらいがちょうどいい。「楽しい」はエネルギーを消費する。無駄に疲れたくないんだ。

暑くなってきてまた散歩熱が高まった結果、歩きすぎて靴が蒸れて最悪になったので、ある日帰っている途中、靴を脱いで裸足になりたくなった。

靴を洗いたい衝動に駆られて、気づいたら全然自分に関係ない街のコインランドリーにいた。スニーカー専用の洗濯機の前に立って、財布から小銭を出そうとしたら、「そしがや21」と書かれた券がひらりと床に落ちた。

好きだった銭湯だ。そこは3種類のサウナがあって、サウナ好きの間では有名な場所だった。外に裸で泳げるプールがあって、わたしはそれが目的だった。

みんな1人で周りも気に留めず、悠々と泳いでいる。それがすごく良くて、わたしも真似して泳いでいた。

靴を洗っている間、編み物をしながら友達のラジオを聴いていた。イベントの主催をしている友達が出ている回。聴いていたら、話の中にわたしが登場していて驚いた!

自分の知らないところで友達がわたしを「友達」として話しているのを聞くと、とても嬉しい。

洗濯完了の音がぷよぷよの連鎖した時の音と一緒で、裸足のままぺたぺた歩いてガラス越しに写った自分を見てウケた。知らない街のコインランドリーで裸足でラジオを聴きながら編み物をしている状況、生まれて初めてだ。

乾燥が終わった靴を履くとほかほかで、プール終わりに靴下を履いた感覚を思い出した。

嬉しくて3キロ歩いた。

 

 

最近、100%純粋に誰とでも好きなものとか創作について話せて嬉しい
前はもっとこの人と仲良くなりたいから、こういうこと話してる自分が好きだから、とか不純な気持ちがあった

元気な証拠だと思う

好きなものを話している時は、楽しい時間が過ごせるし悪口を言うこともない

 

細心の注意を払って過ごしていても、みんな無意識で誰かのことを傷つけているし、常に気を張って誰のことも傷つけず生きるなんてことは不可能だと思う

身に染みて思う!

私は嘘が付けないし、我慢もできないからよく失言をしてしまう

言葉を選んで話す人ばかり好きになる

そんな人は取捨選択が上手い 自分を守ることが上手い 自分を大切にできる人はカッコいい

その人は誰かに守ってもらう必要がないから、周りの人も自然体で居られるんだろう

私もそうなりたいと思って最近頑張っている

 

いつか好きだった人みたいな人になりたい

友達が作った新曲を聴いて何故か懐かしい気持ちになり、ずるずる昔の記憶が蘇ってきて、過去の自分の言動とか傷つけてきた人、傷つけてきた人のことを思い出して勝手にくらってる

 

言葉を大切にしている人にはなれない

 

言葉を大切にしている人って言葉を知らない人に対してすごく厳しいけど、自分は絵や漫画や編み物をしていない人に対して「そうなんですね」としか思わない

 

でも、言葉は人に感情を伝える手段として一番ポピュラーでわかりやすい

世界で英語が公用語であるように、英語を使った方がいいんだろう

だからと言って英語を知らない人に厳しいのは、だいぶ傲慢だ

 

電車で編み物している人なんて見たことないからそもそも自分が少数派の自覚があって、編み物をしていない人に対して「そりゃそうだろ」としか思わないし、編み物をしていたらめちゃくちゃ嬉しくなるのかも
自分の感情表現方法が多数派の自覚がある人はだいぶ傲慢ですごいなと思う

 

特定の人に向けて言っています

仕事中、駅前で知らない人たちが社長らしき人にお別れの挨拶してるところに友達が勝手に混ざってお辞儀してるシーンを思い出して笑い堪えるの大変だったし、私も知らない人が記念写真撮ってると勝手に乱入してピースする癖あるから嬉しかった

枝見

大切な人から新曲のデモが送られてきた 今日みたいな曲だった 春の始まりみたいな、少し不安でわくわくする曲

帰りの電車で泣いてしまった

居ても立っても居られなくなって、「今からお花見しよう!」と連絡した

彼から初めて作った曲を聴かせてもらったのはたしか高校3年の春だった

同じライブで出会った私達は、SNSだけで繋がっていて、ライブハウスでしか会うことがなかった 彼の作った初めてのCDのジャケットにアートワークを描いた

高校を卒業して、すっかり存在なんて忘れたまま数年経った

ある日「〇〇さんですか?」とTwitterから連絡が来て、あの時の彼だと知った

隣駅に住んでいることがわかって運命だと思った

6年の時を経て、またこうして昔みたいに、隣で好きな音楽を聴いた

 

彼の作った曲を聴いて胸がぎゅっとする

またこうして話せることが嬉しい

信濃川じゃなくて、多摩川

雪なんてない街で、雪どけの濡れたアスファルトと田んぼを思い出す

 

今日お花見しながら編んでて、暗くなってきたから「…照らして?」って言ったら「おしゃれな告白?」と言われた

 

私が質問してるわけじゃないのに無口っぽい友達が自分のこといっぱい話してくれると泣きそうなほど嬉しい

 

明日も編んだり描いたりする

みんなのことが大好きで、大切だけど、紛れもなく彼は特別大切な人だ